「ギラヴァンツ北九州のサッカースタイルを作っていきたい」。2010年12月7日、北九州市のホテルで開かれた就任会見の席上で語気を強めたのが、Jリーグチームを初采配することになった三浦泰年監督だった。
北九州は09年にJFLで昇格圏ギリギリの4位に入り、10年からJ2に戦いの場を移していた。しかし、予算や環境に恵まれず、昇格初年は年間わずか1勝の19位に沈んだ(当時、降格はなし)。地域リーグから2度の昇格を果たした与那城ジョージ監督は勇退し、Jリーグを戦うチームへの変革は三浦監督に託された。
「北九州は地域リーグ、JFLと厳しく狭い門を勝ち抜いて昇格してきた。1年目の結果で自信を失ってしまいがちだが、もう一度、皆に自信を取り戻してもらいたい。ベテランにも伸びしろがある。自分が選手としてのキャリアや海外で勉強したことをベテランの成長につなげたいし、若い選手も育成する。才能がありながら伸び悩んでいる選手を再生し、しっかりとしたプロ選手を育てたい」
就任会見でそう誓った三浦監督。北九州で指揮した2年間で「プロフェッショナルであれ」という言葉を繰り返し述べ、戦術や技術の底上げに加え、意識改革を断行。練習に臨む姿勢やメンタリティーの大切さを教え込んだ。