日本語は五感で味わえる美しい言語だ。硬軟のある表意文字の漢字、たおやかさのあるひらがな、明瞭に区別されるカタカナを持ち、発音の特性や同音異義語の多さ、使用可能な記号類の豊富さも相まって、単なる文字の羅列にとどまらない奥深さを持っている。
分かりやすく言えば、ひらがなが目立つ文章には柔らかさがあり、漢字が多ければ引き締まった印象を与える。これは日本語に特徴的なものであり、アルファベットで表現する言語は、単語にこそ硬軟はあるが、全体を一瞥しただけでそれを判断するのは難しい。
同一フォント(字体)の短文でメッセージを届けるソーシャルメディアでは日本語の優位性は際立つ。ことに漢字という表意文字を持っているため、文頭の数文字を読ませるだけで、何を伝えたいかを即座に理解させられるのは大きなアドバンテージだ。
読み手はソーシャルメディアの雑多なタイムラインの中で、自分に関係するものか、無関係であるかを容易に選別し、必要なものだけを選択できる。さらに、ひらがなと漢字の配分、漢字単語の取捨によって文章が平易であるか、難解であるかを無意識のうちに判断している側面もある。
英語であれば文章をある程度読み込ませる必要があり、それを読者が嫌えばせっかくの文章も目にはとまらない。その分、どうしても写真や絵文字に頼ることになる。
ソーシャルメディアに限ったものではなく、英米では新聞に掲載する報道写真はメッセージ性の強いものを採用する傾向にある。皮肉じみた写真が多いのも、「皮肉」を字面で表現するには限界がある言語特性が一因にあるだろう――。
他言語に比べて表現の幅が広い日本語だが、当の日本語話者が日本語の良さを生かさずに文章にしてしまっているのはもったいない。
上述の通り日本語は冒頭数文字を読めば内容を察せられるのに、文頭にやたらと接続詞や指示代名詞が多いのは、日本語の良さを放棄している。平易な文章にしていながら難しい漢字をアンバランスに配置しているのも、日本語の文章としては美しくはない。読み進めるのが億劫になるのはバランスの悪さによるところが大きく、文章としては落第だ。
五感に訴える日本語の特性をもっと生かして伝えられれば、文章はちゃんと読まれ、ちゃんと理解される。本シリーズではそんな日本語の魅力を語りながら、ワンランク上の発信を目指す人たちに、「五感という視野」を文章に反映するための工夫を記していく。(という予告文)