小倉北区の大手町や城内という地名でくくられるエリアは、地名からも分かるようにかつては小倉藩の中枢で、近代には陸軍の造兵廠(兵器工場)が置かれた。現代も北側は北九州市役所や国の出先機関が集中する官庁街として地方行政の中心地であり続けている。エリアの南側は中高層マンションが林立。タコ公園の一つ「勝山公園」も所在地は城内4番で、台地のちょうど中央にある。
エリアを南北に貫くのは清張通りという愛称が付けられている北九州市道城内木町1号線。平均幅員31メートルの立派な4車線道路で、地図を眺めると道路は標高10メートル前後の台地の中心を走っていることが分かる。
小倉駅周辺の市街地(標高2~4メートル)に比べ、明瞭な高さを持つこの台地(便宜上「小倉台地」と呼ぶ)は東西約700メートル、南北約1.5キロの広さがある。東はかなりの急崖で紫川にまで落ち込んでいる。道路も下の写真に示すような急な坂道を描く。
西側は濠による地形改変はあるものの、基本的には田町・竪町付近の段丘面まで下り、さらに板櫃川(いたびつがわ)の旧河道へと2段階で落ちている。
板櫃川の「旧河道」は明治時代の地図(次の図)の通りで、現在よりも小倉都心部に迫った位置を流れていた。小倉城から見れば好都合な場所にある天然の外濠で、「板櫃川の水門をしめて敵を水びたしにする策」(西日本シティ銀行,米津・長尾,1992年)というのも考えられていたらしい。