12月9日、小倉北区でギラヴァンツ北九州のシーズン報告会が行われ、今シーズン限りで引退する前田和哉選手があいさつに立った。
「いろいろなことがあった」と5年間のギラヴァンツでのプレーを振り返った前田選手。北九州での日々を振り返り、こう続けた。
「14年はプレーオフの順位に行ったけれど、資格がなくて(プレーオフを)戦えなかった。その後はサポーター問題もあった。降格し、昇格ができなかった--。そういった流れがある中で、キャプテン(※13~16年)としてJ1に昇格できなかった責任と、J3に落としてしまった責任は心の中にすごく残っていて、申し訳なく思います」
また、後半アディショナルタイムで出場したホーム最終戦を脳裏に浮かべ、「監督やスタッフ、チームの仲間、サポーターによるあの空間は特別なもので忘れられない試合でした。1分でしたがみんなが作ってくれた試合に出させてもらった。感謝したいです。できたらまだまだサッカーがしたかったし、この地で、J2への昇格になってしまいましたが、J1に昇格してあのスタジアムでやりたかった」と話した。
時代の区切りとなった、背番号5の引退
ギラヴァンツ北九州というクラブを一歩引いたところから眺めたとき、前田和哉選手の引退は大きな区切りになった印象を受ける。
ギラヴァンツ北九州は大きく分ければ、
・九州リーグ時代(~06年)
→夜明け前の、礎を作る蓄積の時代
・与那城ジョージ監督時代(07~10年/九州リ、JFL、J2)
→強化推進。北九州Jリーグ史の夜明け
・三浦泰年監督時代(11~12年)
→チームが「プロ」へと飛躍的な成長
・柱谷幸一監督・原田武男監督時代(13年~)
→現実路線が呼んだPO圏と降格
に時代を分けられる。
前田選手は大きく選手が入れ替わった2013年からプレーし、16年までキャプテンを務めた。彼なくしては14年の上位進出はなかっただろう。口癖のように「このチームはJ1を目指さなくてはいけない」「戦う姿勢を見せるべきだ」--。そう話していた。
西嶋弘之選手、八角剛史選手とともに、常に上を見てきた選手だ。こうした太い柱によって、なんとか支えられていた時代が、浮沈の柱谷・原田時代と言えるかもしれない。
第一章から、第二章へと移れるか
しかし前田選手もいなくなる。先に引退を発表していた西嶋選手、八角選手も今年でスパイクを置き、セカンドキャリアへと進んでいく。
これから先、チームを誰が束ねていくのか、それはまた新しい期待を胸に、見ていきたいと思う。クラブ自体も社長が交代し、チームは新しい監督を迎え入れる。大きな変革期にあり、新しい風が吹くのは明らか。ただしそれは、清風であることが望まれる。
上に四つの時代に分けられると書きましたが、「ギラヴァンツ北九州」という小説は、未だ長い第1章を書き続けているのかもしれません。
Jリーグ参入から8年目のシーズンが過ぎ去った。8年間、様々な不具合が表面化し、その都度、時にはドラスティックな手で変容はしてきた。それは時代の区切りにはなったが、取り巻く全てが「第2章」に入ったと胸を張って言えるだろうか。過ぎた歳月と整ってきた環境を考えれば、チームもクラブも、次のステップに進んでいないといけない。
来たる年の物語が「第1章第5節」なのか、それとも「第2章第1節」に移るのか。来年までのしばしの幕間、期せずして訪れる好機に新たなる猛者どもの出現を待っている。
※本稿は「うえだのいばしょ」に執筆したものを、文体を変えて再掲した