オンキヨー(オンキヨーホームエンターテイメント)は窮地に立たされている。いや、もっと言葉を正しく言うなら「窮地に立っている」と表現すべきかもしれない。今や本業を手放し、従業員も4分の1以下へ。小さくなったオンキヨーはいつか蘇るだろうか。
音楽のデジタル化やポータブル化は1980年代から一貫して続いているが、00年代後半に入ると音楽を入手する手段も変わり、CDを使わずインターネット配信へと徐々に移行。家庭にコンポを置かず、iPhoneやパソコンだけで音楽を聴くという人も増えるようになった。新しい音楽鑑賞のスタイルは音響メーカーの収益悪化に直結するものだった。
オンキヨーも手をこまねくわけにはいかず、時代の変化に対抗しようと次々と手を打っていく。だが、打った手こそが時代錯誤したものだった。
オンキヨーは2008年から09年にかけてパソコンメーカーとの関係を深め、ソーテックを吸収したり、工人舎などと業務提携する。だが、音響メーカーが中小パソコンメーカーと提携するメリットに乏しく、3年ほどで事実上、パソコン事業からは撤退する。
それでも他社の事業に触手を伸ばすこと自体は続け、2014年には老舗メーカー「パイオニア」の音響事業の譲り受けが決まったほか、翌年には河合楽器製作所(河合楽器)と資本業務提携する。
多角化とスケールメリットで生き残れると考えたのかもしれない。しかし、iPod、次いでiPhoneが市場を席巻し、すでに音楽は手のひらの中で操るものに変わっていた。単一商品と単一プラットフォーム(iTunesなど)で音楽を売る米アップルに対し、オンキヨーはホームAVの多彩なラインナップを用意できたものの、拡大路線はかえって足かせになってしまう。
ことし3月にオンキヨーを特集したNHKは、オンキヨーの戦略を次のようにまとめている。
「会社の規模を維持することにこだわりすぎました。市場が縮小しているにもかかわらず、売り上げを維持することにばかり目が行き、ミニコンポなど幅広い価格帯の製品を大量に売り出し続けました」
2020年にはついに債務超過に陥り、2021年には東証への上場が廃止された。拡大路線から一転、オンキヨーは生き残りを懸けて大半の事業を売却し、ダウンサイジング(規模縮小)に踏み切る。
本業とも、祖業とも言えるホームAV事業は米VOXXとシャープが出資する「オンキヨーテクノロジー」に売却し、オンキヨーグループから離脱。ハイレゾ音源の配信サービス「e-onkyo music」も仏Xandrie S.A.に譲り渡した。
オンキヨー本体に残ったのはBtoB事業や国内の販売事業などに限られる。9月30日にオンキヨーが発表した資料「今後の方向性及び構造改革の経過について」によれば、2007年に4300人以上を数えた従業員数は905人へと大幅に縮小する。
11月には林亨副社長(57)が社長に昇格する。林氏は1989年にオンキヨーに入社。営業畑から企画経営や財務分野へと進み、取締役の一人として各種事業の売却を推進してきた。
上述したように生まれ変わったオンキヨーは販売やBtoB、ライセンス事業に特化することになるが、グループから離れた企業も、企業名やサービス名は「オンキヨー」を名乗るものがほとんど。おそらく大半の商品の流通ルートは変わらず、オンキヨーの販売チャネルを通して消費者に届くだろう。
きっと消費者から見れば何も変わりはない。手にする商品にはオンキヨーのロゴが表示されているし、品質も大きく変化するとは考えにくい。
しかし、全く変わらないのであれば、オンキヨーから離れていった消費者の目や耳を戻すこともできない。ダウンサイジングした分、販売チャネルの強化を図るべきだし、売却先のノウハウを生かしてサービスもボリュームアップしなければならない。その点において、営業から企画経営を担当してきた林氏の手腕には注目したい。
誤った手を打ち続け、自ら窮地に立ってしまったオンキヨー。林氏は9月29日付けのプレスリリースで「基幹事業であったHAV事業(※ホームAV事業)の売却が完了し、まさに創業以来、最大の転換期にあります」との認識を示し、「小規模でも確実に収入(利益)が確保できる体制の実現に向け、全社一丸となって取り組んでまいります」と意欲を語っている。
「音響メーカー」の栄光は去ったが、「オンキヨー」の看板まで下ろすわけにはいかない――。日本生まれのブランドを守り、発展させられるかは、ばらばらになってしまった企業群をライセンスや販売チャネルという形でゆるやかに束ねるオンキヨー本体のタクト捌きに懸かっている。かつてのヤシカカメラのように、ブランドが脈絡なく漂流するような事態だけは避けたい。